甲賀のくすりコンソーシアム

忍者とくすり

 甲賀はなだらかな丘陵に囲まれた温暖な地で、甲賀の里山は薬草が豊富なことから、忍者たちは薬草の知識を身につけていたと考えられます。激しい戦のさ中でも、体力を回復して健康を保ち、怪我を治し、病の治癒や精神の安定を得る方法を身近な薬草から得ていたのです。
 このように忍者が使うくすりには、身体の健康を維持し、 傷や病を治す薬草類、食料の中に入れられた生薬、 そして人間に害を与えるくすりなどがありました。 くすりの調合法を応用すると火薬や狼煙を作ることができます。身の周りにある薬草を使いながらも科学的な知識・技術をそこに付け加え、忍術をより高度なものへと発展させています。 忍者は薬学博士であり、科学者であったのです。

忍者も使った薬草

 気候的に温暖な甲賀では、いたるところに薬草が自生しています。 ここの地に生まれた忍者たちは、普段から山で身体を鍛えるとともに、 自然から採れた食物を口にして健康体を維持してきました。 でないと、 厳しい戦では十分力が発揮できないからです。
 とりわけ忍者が戦に出かけるときに持参したのが傷ぐすりと腹ぐすりです。 戦では傷を負うことも多くあり、その時には 「十薬」 といわれる万能の薬草ドクダミが使われたほか、ヨモギの葉も虫刺されや止血剤になります。また見知らぬ土地では、 身体に合わない水から腹痛をおこしたこともあったでしょう。 忍術書「正忍記」 には 「忍び出で立ちには虫薬を第一とする」とあり、「虫薬」とは虫下しのことです。 腹ぐすりには葉に解毒作用があるオオバコやキハダ、ゲンノショウコなどが使われました。山伏が修行に持参した陀羅尼助は、キハダの樹皮を煮詰めたもので、忍者はその苦みで眠気覚ましにも使っています。
 このように忍者は山野に生えている身近な植物をから、 薬効成分を見つけ、くすりとして利用していたのです。

忍者と食べ物

 忍者は普段は農民として暮らし、一般の庶民と同じ食べ物を食べていました。 当時の農民の主食は 「稗、粟、 (玄) 米などを混ぜた粥」 程度であり、 忍者も普段はこうしたものを口にしていたのでしょう。 特に玄米などはビタミンやミネラルが豊富で、 身近な山菜や天然野菜など自然の恵みを食べて、健康的な食生活だったといえます。
 しかし、腹が減っては戦はできません。 何日も潜んで諜報活動をしようとすると、 腹持ちがよく栄養豊富な携帯食、 非常食が必要でした。 代表的な忍者食が忍術書 「萬川集海」 に載る「飢渇丸」 と、山本勘助が著したとする 「老談集」 にある 「兵糧丸」 です。 「飢渇丸」は7種類の原料を丸め1日に3個服用すると心身ともに疲労することはない、 とあります。 一方「兵糧丸」 の調合法は生薬の他、 米粉や砂糖が多く、ニッキの味がした餅に似ています。 また 「水渇丸」 は梅干しの肉や氷砂糖を使い、梅干しの酸味であるクエン酸の刺激で唾液が分泌されてノドを潤したと
考えられます。 いずれも「元気になり、 疲労が回復」 し、 また 「ノドの渇きや痛みを止める作用があり、 さらに配合される生薬から 「緊張緩和、鎮静」 といったストレスに打ち勝つ効果もあったのです。

兵糧丸

忍者が使った不思議なくすり・秘薬

 忍者の秘伝書 「萬川集海」 には眠薬として 「赤犬の首をとり云々」とあり、不眠薬には 「鷹の糞をヘソに貼る」とあって、 効能がよく分からない不思議なくすりの作り方が書かれています。 まじないのようなものでしょう。 またアハウ薬 (阿呆薬) は、 気が抜けて阿呆になる、つまり気が虚ろになってしまうくすりだとされています。 ここに記されている麻とは大麻のことで、大麻にふくまれるテトラヒドロカンナビノールが神経を麻痺させることを忍者が知っていたのです。
 また夜こっそりと屋敷に忍び込む際に、忍者の大敵とされたのが番犬でした。 犬に吠えられるとさすがの忍者も見つかってしまいます。 忍術書には「逢犬術」として「馬銭子」 を与えることが書かれています。 あらかじめ食べ物の中に植物の実である 「マチン」 を混ぜ犬に与えると犬は死んだそうです。 常緑高木マチンの実の中には有毒成分であるストリキニーネが含まれ、 実際野犬狩りに使われていました。
 その他、土ハンミョウという有毒昆虫を粉にして毒薬として使ったり、またトリカブトなども矢や手裏剣の先につけて殺傷能力を高めています。戦国時代には、 甲賀ではこうした有毒の動植物を数多く扱っていたのでしょうか。 甲賀大原氏の掟である 「大原同名中与提条 (永禄13・1570年)」には毒飼の禁止条項が記載されています。

忍者とくすり売り

 忍者は他国に忍び込むときに七種類の姿に変装したことが忍術書「正忍記」に記されています。 これを七方出といい、 「虚無僧出家・山伏・商人・放下師・猿楽・常の形」 を指し、いずれも忍者と分からないように姿を変え、時にはその国の方言でさえ身につけていたといわれています。 この中の商人にはいろいろな商人があり、「くすり売り」 もあったのでしょう。
 甲賀は売薬が盛んなため、「くすり売り」 に変装して他国に潜入していたとしても不思議ではありません。 柳行李にくすりを詰めて肩に背負う姿では忍者と怪しまれず、病人にくすりを売るために、屋敷の奥までたやすく入れ、 病状を聞きながら、 家人からその地域の情報を聞き出すことができます。 病を癒してくれるくすり屋には、 つい心を許してしまうものです。 怪しまれず情報収集するのにはうってつけの姿といえるでしょう。

火薬のエキスパート・甲賀忍者

 甲賀忍者は火薬を得意としており、 忍術書 「萬川集海」では、火器は忍術要道の根本としています。 その理由は
一、堅固な城郭でも放火して焼失でき、
二、 昼夜を問わず味方との合図に便利であり、
三、風雨でも消えないかがり火で味方の難を救う
という利点を挙げています。 ただ、忍術の本源を知らずに、火器こそが忍術の根本であるかのように勘違いしては
ならないと戒めてもいます。
 「萬川集海」 には208種類もの火薬の原料が取り上げられており、この中には硝石、硫黄、 明礬など鉱物性のもの、 樟脳、 松脂、炭、ヨモギなど植物性のもの、そして鼠糞、牛糞、狼糞など動物性の便料があり、これらを調合しながら 「破壊放火」 の武器として、 また 「合図 ・ 照明用」の武器を作りました。 中でもよく知られている火器に 「大国火矢」があり、矢の先端に竹筒を付け、その中に硝石、硫黄、灰(炭)、 鼠糞、樟脳、砂鉄を入れて飛ばすと、ロケット弾のように飛び、敵の屋敷を燃やすなど放火用に使え、 また炎が噴き出すために合図用にも用いました。
 火薬は当時の最先端技術であり、 甲賀忍者がさまざまな原料を調合し火薬を自在に扱えたのもくすりの知識があったからだといえます。

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(事務局:甲賀市くすり学習館)